【最後の晩餐】

ダ・ヴィンチ

【レオナルド・ダ・ヴィンチ像】

先ずはミラノのルネッサンス期最大の宮殿であるスフォルツェスコ城を見に行きました。

ダ・ヴィンチの生い立ちやどうしてフィレンツェからミラノに来ることになった経緯、「万能の人」と言われるダ・ヴィンチは実は有能な弟子を集め、その才能を利用していた?かも知れない・・・など、歴史に隠された裏話しなどをガイドの「おねえマン」はとても面白く語ってくれます・・・。

そして、いよいよ「最後の晩餐」が描かれている「サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会」に向かいました。

ンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会

【サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会】

近年では映画「ダヴィンチ・コード」でも一躍脚光を浴びていたので、ご存知の方も多いことでしょう。

ダヴィンチは、イタリアの芸術家・建築家・科学者.絵画においては,明暗法・遠近法・肉付け法により古典主義芸術を完成,後世の美術に大きな影響を与えました。

その中の絵画の代表作と言えば「最後の晩餐」「モナ‐リザ」でしょう。

「最後の晩餐」は損傷が激しく、その鑑賞にも厳しい制限がかけられています。

インターネットで調べてみると、鑑賞には予約が必須な為、現地で予約サービスを業務を行っているツアー会社にお願いしました。

希望の日時に観る為には早めに予約する事が必要とのことです。

私は出発の3日前に問い合わせましたが、出発前日になってようやく予約の確認が取れたのでした。

最後の晩餐

「最後の晩餐」 レオナルド・ダ・ヴィンチ

最後の晩餐 (さいごのばんさん、伊 : Il Cenacolo o L’Ultima Cena) はレオナルド・ダ・ヴィンチが、彼のパトロンであったルドヴィーコ・スフォルツァ公の要望で描いた絵画です。

絵はマリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁画として描かれたもので、420 x 910 cm の巨大なもので、世界遺産に登録されています。

これはキリスト教の聖書に登場するイエス・キリストの最後の日に描かれている「最後の晩餐」の情景を描いています。ヨハネによる福音書13章21節より、12弟子の中の一人が私を裏切る、とキリストが予言した時の情景です。

小学校から高校までミッション系の学校で育った私は、聖書に書かれている物語にとても親しみがあります。

よく西洋の教会やお城などの天井絵などに見られるものはフレスコ画と呼ばれるも物ですが、「最後の晩餐」はテンペラ画という油彩に似た技法で描かれています。

その為損傷が激しく、今世紀中にも見ることが出来なくなってしまうのではないかと言われているのです。

鑑賞における制限も厳しく一度にこの食堂のスペースに入ることが出来る人数も25人、時間も15分と決められています。

順番を待っていよいよ食堂に入ると、その大きさと厳粛な雰囲気、そして遠近法を駆使して描かれた作品の見事さに圧倒されました。

「ダビンチコード」の影響かもしれませんが、どうしてもイエスの左隣のヨハネが女性に見えてしまうことや、ユダの背後にはナイフを握った手が描かれていることが気になってしまします。

しかし、何よりも500年以上も前にこの場所にダ・ヴィンチが立ってこの絵を描いていたののか・・・と思うと、感慨深いものがありました。

【ミラノ~バルセロナの旅】

ゥオモ

【ドゥオモ】

天を仰ぐミラノのシンボル  完成までに500年以上を費やされたイタリア最大のゴシック建築

今回は夏期休暇を利用して2人の偉大なる人物の作品に会いに行ってきました。

先ず、その一人とは、イタリアの生んだ天才「レオナルド・ダ・ヴィンチ」

そして、もう一人は、スペイン建築の巨匠「アントニオ・ガウディ」です。

かねてから、ガウディの建築は見たいと思っていました。

もちろんイタリアやスペインのインテリアも見てみたいという思いと、我が奥方のショッピングしたい願望とが合いマッチして、今回は〔ミラノからバルセロナへの旅〕となりました。

もちろん、ガイド付きツアー旅行ではないので、歩け歩けの旅となることに・・・。

それも若いうちか!(もうそうでもないのですが・・・)
と、行き当たりばったりの旅なのですが、いくつかの目標は持っていました。

1つはダヴィンチ絵画の傑作「最後の晩餐」を鑑賞する事。

2つ目はガウディ建築未完の大作「サグラダファミリア」を見ること。

そして3番めは、子供のころからの夢だった、あの世界から愛されるチーム「FCバルセロナ」のホームグランドである「カンプノウ」に行く事!です。

小学校からオヤジになった現在にいたってもサッカーを続けている私のとっては、3番目も絶対に外せない目的なのでした!!

ミラノに着いた翌日、現地のツアー会社に指定されたメトロの駅前広場にあるカフェに向かいました。

私達の滞在したホテルはミラノ中央駅近くにあり、市内の中心部の「ドゥオモ」の近くに行くには、メトロやトラムといった路面電車を使います。

そこには、ガイドの人と私達以外には5人に日本人の方たちが来ていました。

この市内観光半日ツアーは、英語、フランス語圏のツアーに私達日本人ツアーが同乗するような形になっています。

【スフォルツェスコ城】

ミラノの栄華を今に残す領主の居城

ガイドの人は年の頃30歳前後でポロシャツにグレーのカラージーンズといったいでたちで普通の人なのですが、話し言葉がどういうわけか女言葉なのです・・・。

後で解ったのですが、座り方や走り方など見てもどうやら「おねえ系」

私達は影で「おねえマン」というアダナを付けました!

でも、ガイドとしての話術はとても解り易くすばらしい!ので楽しくなってきました・・・。≧(´▽`)≦